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かなり怖い?沖縄の戦争遺跡「旧海軍司令部壕」に行ってきた

2018年9月1日

沖縄の地下に残る戦争遺跡「旧海軍司令部壕」に行ってきた

沖縄出張のついでに、豊見城市にある「旧海軍司令部壕」を見てきました。

ここは太平洋戦争の沖縄戦時、日本の海軍の司令部として使用された防空壕です。

戦後は旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、周辺は海軍壕公園として整備されています。

上に立っているビジターセンターには戦時中の写真も多く展示されており、色々考えさせられる場所でした。

ファミリーより出張中のサラリーマンにオススメできる史跡です。

「旧海軍司令部壕」とは

太平洋戦争終戦直前の1944年頃、日本軍の敗色が濃厚となり、戦線が南西諸島付近まで後退したため、最前線となった沖縄の軍備が強化されることになりました。

沖縄における重要な軍事拠点の一つであった小禄飛行場(現在の那覇空港)を守るための防空壕を建設することになり、飛行場を南東から見下ろす標高74mの火番森あるいは七四高地と呼ばれる丘が選定されました。

司令部壕は1944年10月に着工され、2ヵ月後の12月に完成しました。海軍第226設営隊(山根部隊)の約3,000名が設営にあたり、ほとんどの工事はツルハシやスコップなどを用いて手作業で行われたそうです。

 

場所はここ!

住所は沖縄県豊見城市字豊見城236番地。那覇市と豊見城市との境あたりにあり、那覇の中心街から車で15分位なので、タクシーかレンタカーが良いでしょう。

見学時間1時間と考えると、那覇市内から1時間半で行って帰って来れます。

 

営業時間:

8:30~17:30(7月~9月)
8:30~17:00(10月~6月)
年中無休です

 

参観料:

◀スマホは左スクロールで表示できます

大人 子供
一般 ¥440 ¥220
団体 ¥390 ¥190

 

公式サイト:
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「旧海軍司令部壕」ビジターセンター

車で現地に到着。ちなみに駐車場は無料です。

駐車場のすぐそばには慰霊碑が建っています。

「海軍戦死者慰霊之塔」と書いてあります。

 

司令部壕の上にはビジターセンターがあり、こちらは資料館になっています。

「戦時中の沖縄の子供」のコーナーです。

子供の写真は見るのが辛いですね・・・

 

一見、無数の光が飛行機の保管庫の天井を照らしているように見えますが、実はこれ深夜の米軍の集中砲火です。

右下コメント「暴風雨のような米軍の砲火が夜空を照らす」

 

他にも、銃器や軍服など壕内より発掘された遺品や家族へ宛てた手紙、沖縄の大田司令官から大本営へ戦時の様子や沖縄県民の献身的な作戦協力の状況を報告した伝文、当時の様子を放映したビデオコーナーなどもありました。

 

「旧海軍司令部壕」いざ、壕内へ!

司令部壕の入り口は建物の地下1Fにあります。

 

少し進んでいくだけで、周りの空気がどんどんひんやりしてきます。

 

地下に到着しました。

壕の全長はおよそ450mほど。

通路はかまぼこ型のように掘られています。一部補修された部分もありますが、ほぼ当時のままです。

 

壁に見取り図(順路図)が貼ってありました。

通路は人がなんとかすれ違えるくらいの細さのため、順路が決まっており、基本的には一方通行になっています。

迷路のように張り巡らされていることが分かります。

 

まずは作戦室です。

基本的にどの部屋も、入り口から部屋に入る際は少し階段になっています。

 

当時の作戦室の様子を描いた絵が貼ってありました。

ここで数々の作戦を練ったのでしょうが、壕が完成したのは既に日本軍の敗色が濃厚だった1944年。作戦立案の中で絶望的な状況にも陥ったことでしょう。

 

 

続いて幕僚室です。

ここには当時幕僚が手榴弾で自決した際の跡が壁に生々しく残っています。

やはり最後は故郷にいる家族のことを考えながら自決したのでしょう・・・

 

「暗号室」です。

大本営から来る指示の復号、連絡時の暗号化はこちらの部屋で行われていたそうです。

最たる軍事機密を取り扱う場所だったのでしょう。

 

続いて医療室です。

生存者の証言から、ここに沢山の負傷者がいたことから、恐らく医療室だったと推定される場所です。

ここで亡くなった方への追悼の気持ちの表れか、沢山のお賽銭が置いてありました。

 

どんどん進みます。

 

いよいよ到着しました。

司令壕の中心部に位置する、木製のテーブルと椅子が置かれた大田司令官の「司令官室」です。

壁には大田司令官の辞世の句

「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」

が手書きで記されています。

大君=天皇と考えると、「天皇のために死ねれば、人として生まれてきた甲斐があるというものだ」という感じですかね。

 

当時の会議の様子を描いた絵もありました。

 

部屋の隅にはお地蔵様が。

重大な作戦の遂行時には、ここで部下の無事を祈っていたに違いありません。

 

他にも司令部壕内には、いくつかの資料が展示されています。

司令部壕の見学は上記で終わりです。

見学時間は合計で1時間弱でしたが、充分楽しめました。

 

外に出ると本当に良い天気。司令壕の中との光のギャップに目がくらくらします。

おまけ:沖縄独特のお墓。

「旧海軍司令部壕」結論として怖いことは無かったが、色々考えさせられた

戦時中の記録が生々しく残されており、本当に色々なことを考えされられる史跡でした。

那覇空港からも近いですし、屋内施設なので天気が悪いときの観光にも良いのではないかと思います。

冒頭にも書きましたが、ファミリーより大人、出張中のサラリーマンにはオススメできます。

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